浩養園の歴史
名古屋ではビヤガーデンの代名詞
大正14年に竣工したサッポロビール名古屋工場は昭和6年に接待所を開業、これが「浩養園」の発祥です。昭和46年には平安寝殿造り2階建、400席がリニューアルオープン。
けやき、楠木が茂る庭園は800坪あり、滝と曲水を配したビヤホールで、浩養園は名古屋市内の松風閣、八勝館と並ぶ三大庭園として有名でした。
浩養園というその名の由来
浩養園の名前の由来は、文化文政年間(1781~1837)に第11代将軍・家斉公が隅田川畔に浩養園という5,200坪の名園を造ったことに端を発し、明治39年に大日本麦酒(株)が吾妻橋工場の一部として接待用に使用され、その名園に因んで名古屋工場施設も浩養園と名付けられたと言われています。
そして、その意味は「浩然の気を養う」という孟子の言葉から取られ、「万物の活力の源」といった意味合いがあるそうです。
この地にあるのはワケがある。名水の町「古井の坂」
浩養園がある千種区千種周辺は、その昔「古井村(コイムラ)」と呼ばれ、豊富な地下水に恵まれていたことなどから、あちこちに井戸が設けられ、水にまつわる伝承が数多く残されています。
「古井ノ坂」「元古井」といった近隣地域の地名の由来となった高牟神社境内には、現在も古井戸があり、名水百選に選ばれるなど、清水が豊富に湧出するスポットとして市内でも貴重な歴史資産となっています。
浩養園は、そうした由緒ある地で永きに渡って育まれ、皆様に愛されるクラフトビール(地ビール)を送り届けております。